ゲタリンピック開催地「松永」について
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松永ってどこ?
福山市の南西部、福山市街と尾道のほぼ中聞にあり、JR山陽本線「松永」駅、山陽自動車道「福山西」インターチェンジがアクセスポイントになります。面積は5万250平方メートル。地域内には福山大学をはじめ、日本はきもの博物館・日本郷土玩具博物館の学術文化施設を有します。温暖で降雨の少ない気候と、松永湾に注ぐ3つの川(西から、藤井川、本郷川、羽原川)の流れによりそれぞれに山地の谷川の水を集め、士砂を運んで、遠浅のデルタを形成しています。
「松永町」と「旧松永市」
1954年(昭和29年)市制が施行され、それまでの沼隈郡松永町から7か町村(東村・金江・松永【現在の今津町を含む】・藤江・柳津・神村・本郷)により松永市が誕生しました。その後福山市は1961年に日本鋼管(現JFE)の福山誘致、1963年に備後工業整備特別地域に指定され、福山地域の行政のあり方は、広域行政へ動いていきます。そして1966年5月1日、福山市と松永市が対等舎併し新・福山市が誕生しました。
グタリンピック実行委員会では、この「旧松永市」にあたる地域を「松永(まつなが)」もしくは「松永地区(地域)」と呼んでいます。
塩、イ草、下駄
塩のまち松永
江戸時代はじめ1660年、松永湾の遼浅の地形に目を付けた水野家の家臣本荘重政の手により、当時最新式の製塩技術であった「入浜式塩田」の導入に着手しました。本荘重政は、若き日に各藩の殖産経営を見聞し、赤穂藩において塩田の技術を学んでいました。7年の歳月をかサて堤防工事が進められ、48浜に及ぶ塩田を1667年に完成させました。また赤穂流の技術を伝習した竹原塩田の浜方から経営、技術者を呼んで、これに当たらせました。本荘重政は「松寿永年」にちなみ「松永」と命名し「松永の父」とよぼれ「承天寺(じょうてんじ)」に眠り、住居跡は「本荘神社」として祀られています。「松永の塩」は北前船などで遠く日本海側の各地まで運ばれ、名声をとどろかせました。しかし、第二次世界大戦後は、安い外国塩の流入により、事業の整理の方向にすすみ、1960年全廃となりました。現在整備が進んでいる「クリーク」はその「入浜式塩田」の名残です。

イ草は、畳表や花ござ等の材料になる植物です。松永湾岸地域を含む備後国沼隈郡はイ草の産地で、備後表として全国的にも有名です。織田信長の安士城行幸の間には、備後表の畳が敷きつめられました。古くから評判の高かった備後表は、丈の短いイ草でも活用できる中継表の発明や、江戸時代になってからは、広島藩主として尾張国清洲より入封した福島正則の奨励もあっておおいに発展し、藩を潤しました。現在、イ草生産地は日本各地のほか、中国などの外国からも生産、輸入されていまずが、備後表は表皮が厚く、粒揃、光沢があり、青味を帯びた銀白色のイ草を厳選して使用し、品質のよさで広く愛用されています。短いイ草を利用して、さまざまな民芸品も製造されています。生産者の努カにより、その品質、評価を保ち続けています。

下駄は、今から120年前、1878年(明治11年)丸山茂助が松永で下駄づくりを始めたことが発端です。当初は桐下駄製造販売を行っていましたが、1892年に「下駄は桐下駄」という概念をうちやぶり、山陰地方に産する雑木で軽くて加工しやすく、桐に似た「アブラギ」に目を付けました。原木は桐に比べただのように安く、しかも運搬は塩を運んだ船の片荷であり、貯木も塩田の入浜に筏を組んで浮かべる、といった経費の安さも手伝って、「安い大衆の下駄」が誕生しました。その後、広く国内に下駄材をもとめ、はるばる北海道、当時占領下であった樺太までにも渡り、原木探しに熱中しました。昭和の年代に入るとと、国外にも原木を求め、当時の満州やアメリカ、南洋諸島からも材をいれ、これを立派な下駄に仕上げました。かくして、全国の「雑木下駄」の先駆けとなり、現在の松永の産業の基盤を創ったといっても過言ではありません。下駄のまちとして大きく発展し、昭和30年代には下駄の生産は機械化による大量生産でピークとなり、年間5千6百万足の生産を誇っていました。しかし時代の変化は生活様式を変え、商業や地域環境をも大きく変えてしまいました。歴史を刻んだ塩田は消え、昔ながらの憤れ親しんだ風景もしだいに消えてしまいましい、下駄産業もどうすることもできない下降傾向へとますます拍車がかかりました。そんな中、先人達が残した足跡を大切にし、下駄づくり100年を記念して丸山茂樹によって1978年(昭和53年)、日本で初めての日本はきもの博物館」が開館しました。現在の松永下駄産業は地場産業の指定を受け、多様化と高級化指向へと、今尚年間100万足、全国シェアの60パーセントを誇っています。

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